「困ったなあ、これは……」
目の前に広がる光景に困惑を隠すことができない。
限界ギリギリで駆け込んだ公衆トイレ。
腹の中で暴れていた危険物は無事水洗トイレの中に処理することができた。だから、大切なもの、つまり大人の男としての自尊心とかは失わずに済んだ。
だけど……
「ここって、さっき駆け込んで来た市民公園……じゃないよな?」
立ち食い蕎麦屋の昼飯に悪いものが混ざっていたのか、そのあとに食べたアイスクリームが良くなかったのか。
僕が外回りの仕事をほっぽり出し、急激に動き出した腹を抱えたままに飛び込んだのは、最近リニューアルされたばかりの市民公園のトイレだったはず。
はずなんだけど……
「なんで、砂漠?」
トイレから出てきた僕の目の前には、一面の砂漠が広がっている。
まっすぐに砂漠に向かって歩き、砂の中へ一歩足を踏み入れてみる。
だけど、その広大な砂漠の先には何も見えるものはない。
というかむしろ地平線が見えてしまっている。
砂漠の昼の暑さに夜の寒さ、そして移動中の食料問題なんかに目を瞑るとしても、このまま先に足を伸ばして無事生きたままどこかにたどり着けるとは思えない。
幸いなことに……
「こっちは森かあ……」
後ろを振り返ると、変わらず鎮座している公衆トイレ。
そのトイレの周りはちょっとした草原といった様子なんだけど、そのさらに数百メートルくらい先に行くと鬱蒼と茂る森が始まっている。
まあ森の方が砂漠よりは望みがあるだろう。
現代人たる僕がそこで生き延びられるのかはまた別の話だけど。
何れにしても、ここが僕がさっきまで生活してた地球の日本の都内の一角、でないことだけは確かだ。
ちょっと常識では信じられない事態だけど……
「これは、あれかなあ……異世界、転移? こういうのって普通トラックに跳ねられてとか、電車の事故で、とかじゃないのか? いや、転生じゃなくて転移の場合だとこんなものなのか? にしてももうちょっとこう光とか魔法陣に包まれて、とかもうちょっとあってもいいよな……」
森の中にはどこまでも高々と伸びる不思議な形の木や、中には数10メートルも幹の太さがありそうな木なんかも生えている。
僕の知識に照らし合わせる限りでは、地球にこんな場所が存在しているとはちょっと想像できない。
SF的な展開でトイレに入っている間に数千年が過ぎてしまった未来の地球、とかって線もないことはないけれど、公衆トイレの外観に変わった様子は見られない。
「それに、植生はともかくとして、あんなのが地球にいるわけないんだよなあ……」
右を向けば森と砂漠にまたがるようにして富士山と見間違わんばかりの末広がりの山が見える。
富士山とは違ってモクモクと煙を吐いているから活火山なのだろう。
まあそれ自体はいいのだけど、問題はその山の上を飛び回っている恐竜のような存在の方だ。
燃えるような赤い皮膚と爬虫類のような見た目に浮かぶ言葉は……
「レッドドラゴン、ってやつだよね……ここからあのサイズに見えてるってことは、相当にでかいよなあ。100メートルとかあるんじゃないか? うわっ、あれブレスってやつ? 口から火吹いてるよ……」
この距離から見ていても絶対的強者というにふさわしい風格。
あれに見つかってしまった場合はひれ伏して災禍が去るのを待つという選択肢を取るしかないだろう。
幸い、今のところあのドラゴンには火山の周りを離れる様子は見られな簿いけれど。
「ま、モンスターうじゃうじゃ系の異世界って考えておいた方が無難だよね……」
僕が仕事以外の時間のほとんどを費やす、大好きな異世界転移系小説。
だけど、そんな転移系小説は読むのが好きだったのであって、実際に主人公になりたいなんて欲望があったわけではないのだ。
でも……
ふと思いついた僕は、手のひらを大きく広げながら前に出し……
「……ファイアー」
と唱えてみる。
なんとなく暖かくなった気がする手のひら。
この感触は……昔、某漫画を読みながら、なんとか気が使えないかを必死で試した時のあの手のひらの感触だ。
「………………うわぁぁぁぁぁっっ! これ恥ずかしっっっ! そりゃまあ手のひらから火が出るわけないよな……」
中二病だったあの頃の記憶の数々が頭の中を駆け巡っていく。
慌てて辺りをキョロキョロと見回すけれど、ここには僕しかいない。
そのことにホッとするけれど、魔法が使えなかったことは正直少しがっかりだ。
僕は落ち着きを取り戻して、辺りをじっくりと確認する。
「はあ……このあたりにはああいうドラゴンみたいの、いないといいんだけど……」
異世界転移系の小説じでこういう僻地に転移した場合、モンスターとの遭遇戦やら、貴族やらお姫様やら商人やらの救出イベントが起こるのは定番だ。
なんてことを考えていると……
「……ん? あれは……人??」
森からゆっくりと歩み出てくる一つの人影が見える。
意外と人通りのある場所だったのだろうか。
それだったらラッキーだな、と思いつつ……
「おーい」
ファーストコンタクトになる異世界人に向けて手を振ってみる。
あの人もこちらに気づいたのか、手に持った何かを掲げながら、こちらに向けて走り出してくる。
少しずつ人影が大きくなり、彼の様子がはっきりとしてくる。
どうやらかなり小柄な男のようだ。
ボロのようなものを身にまとっているだけだから、さほど文明は発達していないのかもしれない。
っていうか大切なものがちらほらと見え隠れしている。
顔はかなり日焼けしたシワシワの皮膚に包まれており、その中心では大きすぎる目がぎょろっと光っている。
男はニヤリと友好的には見えない笑顔を作ると、手に持ったあまりよさそうには見えない短槍を掲げる。
殺る気満々だ……僕を。
「……って、あれどう見たってゴブリンじゃんっっ!? えっ、どうするの僕、逃げるのっ?」
後ろをちらりとみるとやっぱり砂漠のまま。
あっちに逃げても逃げ切れるとは限らないし、この様子じゃ砂漠の方にも砂漠系モンスターがいそうな気がする。
「……戦う?」
ゴブリンの体格はさほどよくは見えない。
だけどその走りはかなり早い。
それに……粗末とはいえ槍という凶器を持っているやつに、普通の現代人だった僕が太刀打ちできるとは思えない。
だから……
「ええい……頼むぞっっ!」
僕はパンパンっと震える両腿を叩くと、前方に向けて全力で駆け出した。
ーーNo. PD

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