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暗い闇の中から意識が浮上して来るのを感じる。
何やら頭がふさふさでフニフニの気持ちいいものに支えられているようだけど……
「あれ……ここは……?」
「お、起きたか、リートくん。気持ち悪かったりはしないかい?」
そう言って僕の顔を真上から見下ろしてくるのはホフィンさんだ。
どうやら僕は馬車の上で、ホフィンさんに膝枕されてる状態のようだ。
「いえ、大丈夫です……」
ちょっと頭は重いけど、体調が悪いというほどではない。
むしろ頭の後ろのフニフニふかふかが気持ちいいです……
とは思うけど、口にしないだけの良識はある。
「えっと……僕って、気絶してました?」
「ああ、スキルエナジーの枯渇だな。初めての職業スキルを使うときに気絶するって話はたまに聞く話だが、君の『スライム増殖』とやらはだいぶスキルエナジーを使うもののようだな」
「そうなんですね……よっと」
頭の後ろの柔らかさと暖かさが名残惜しいけど、ぱっと身を起こす。
馬車の外は結構深い森の中という感じの眺め、そして空は夕暮れの太陽でオレンジ色に変わりつつある。
「それで『スライム増殖』って、やっぱりスライムが2匹に増えるって効果でした?」
「ああ、見事に二つに分裂したね。サイズなんかは元のと同じだから、そのあたりの補充にスキルエナジーを使うってことかもしれないね……ちなみに1匹は早速私のお尻の下で活躍してくれているよ。そして、もう1匹はそこの椅子の上、君の賢いスラくんと一つになっている」
ってことはやっぱり必要なスライムが増やせるってことなんだな。
スキルエナジーはかなり使うみたいだけど、これはいい職業スキルをもらったかもしれない。
「……ああ、それなら安心です。スラくんは普通のスライムと同じくらい脆いので」
「そうなんだな。スラくんのことは私も気を配っておくことにしよう……さて、私たちはもうすぐ今日の宿泊予定のカムリーゾ村に到着する。スキルエナジーの枯渇の後は疲れが残ることが多い。リートくんは夕食だけ食べたら早く寝るといい」
「わかりました。そうさせてもらいます」
すぐに僕たちはカムリーゾ村へと到着したのだった。
初めての旅の疲れか、スキルエナジーの枯渇のせいか、ベッドに飛び込んでからの記憶はない。
慣れない硬いベッドだったというのに、朝まで一度も起きることはなかった。
部屋を出て宿の食堂に向かうと、ちょうどホフィンさんも部屋から出て来る。
「おはようございます、ホフィンさん」
「ああ、おはよう、リートくん。今日もいい朝だな。疲れは残ってないかい?」
ホフィンさんは機嫌良さそうに、ふさふさの茶色の尻尾を振りながらこちらへ向かってくる。
「ええ、たっぷり寝れたおかげか体調はバッチリですし、疲れも残ってないです。ホフィンさんも調子良さそうですね?」
「わかるか? 私はこの病のせいで本当は馬車旅は苦手だったんだがな……今回は馬車に1日乗った後とは思えないくらいに調子がいいんだよ。ほんとゲルくん様様だよ」
ホフィンさんはそう言って尻尾の付け根あたりをポンポンと叩く。
デリケートな場所の話題だからこちらから口にはしにくいけど、ホフィンさんが喜んでくれてるのは嬉しい。
それに、僕の『スライム繁殖師』の仕事がホフィンさんの役に立ったのも素直に嬉しかった。
「それは良かったです……それじゃ、朝ごはん、食べましょうか」
「そうだな、行こう」
宿の朝ごはんはパンとミルクという簡単なものだったけど、ホフィンさんと一緒に食べるふかふかのパンはとても美味しかった。
荷物をまとめて宿から出ると、ホフィンさんが宿の前で待っている。
「お待たせしました……昨日は暗くてよく見えなかったですけど、のどかな村の朝って感じですごくいいですね」
「ああ、そうだな。このあたりの村は大体このような雰囲気だよ。今日泊まるもう1泊も、ほとんど同じような村だな……」
「そうなんですね……僕のうちはタチーナでも街はずれにあるから、そんなには変わらないですけど、やっぱり街とはちょっと違いますね」
「外から見るとタチーナはなかなかに栄えている街だからな。だが、ラインベルト公爵様の屋敷のあるイーズレリは、タチーナよりもずっと巨大な街だぞ。初めてならかなり楽しめるはずだよ」
「へえ、そうなんですねっ……とても、楽しみです」
そんな会話をしながら馬車へと乗り込む。
御者さんはもう準備ができていたみたいで、すぐに馬車は出発した。
小さな村を出発してから数刻ほど経った時だった。
「……む、御者殿、止めてくれるかっ」
「はい……魔物ですかい、姐さん?」
「ああ、この匂いはそこそこでかいのが……いそうだ」
ホフィンさんが形のいい鼻をヒクヒクと動かす。
「ひっ、くわばら、くわばら……」
「まあ心配するな……私の手に負えないようなやつではないよ」
「そりゃ助かりますぜ、姐さん……」
「ああ。というわけでリートくん。敵が視界に入ったら私は迎え撃ちに馬車を降りる。特別な指示がない限りは、馬車の上から降りないようにしてくれ」
「はい、わかりました。気を付けてください」
「ああ……来たなっ……」
シュタっと軽快に馬車を飛び降りるホフィンさん。
颯爽に駆け出す彼女の後ろ姿を見ていると……
「うわ……あれ、熊? ……めちゃくちゃ、でかいな、あれ……魔物って皆あんななの??」
街道脇の森からのそっと出てくる熊型生物の姿が見える。
後ろ足二つで立つその姿は、森の木と比べれば3メートルはありそうだ。
「そりゃ、違いますぜ、坊ちゃん。ありゃクレイジーグリズリー、こんなとこにいるはずじゃない大物ですぜ……姐さんは自信満々だったけど、こりゃどうなることやら……」
──グォォォォォォッォォォォォッッッッ!!!
不穏なことを言う御者のおじさんの声を遮るように、魔物の叫び声が響く。
──同時に四つ足になりこちら方向に駆け出してくる。
「うわっ、めっちゃ早っっ!」
その速度は凄まじい。
みるみる間にホフィンさんとの距離を詰める。
あっという間にホフィンさんに迫った魔物は、後ろ足で立ち上がると振り上げた右手を振り下ろす。
「危ないっっ……って、あれ、ホフィンさんが……消えた?」
魔物が腕を振り下ろす先にいたはずのホフィンさんがいない。
魔物もまたキョロキョロと首を回してホフィンさんを探している。
「どこにっ、って、あっ……」
魔物の背後に急にふわっと浮かぶホフィンさんの姿が見つかる。
──その次の瞬間には、彼女の右腕が曲剣を振り抜いていた。
時が止まったかのような一瞬。
直後、魔物の首がずるっと滑り、ポトリと地へと落ちる。
「す、すごっ……あんなに大きい魔物を一発でなんて……」
「で、ですなあ……姐さんは相当なやり手なんですなあ。貸し馬車の御者としては助かりますぜ……さて、わっしらも、姐さんの方に向かいますか」
「そうですね……」
御者の合図を受けて、馬は再び前へと走り出した。
「ホフィンさん、お疲れ様でした。こんな強そうな魔物を簡単に倒せるなんて、すごいですね……」
クレイジーグリズリーの死体のところで何やらしているホフィンさんに声をかける。
「ああ、こう言うデカブツは私と相性がいいんだ。大概首が弱点なのに、でかいのはあんまり防御をしないからね」
「なるほど……」
いつかはその知識が使える日も来るかもしれないと、一応心の中にメモを取っておく。
「ホフィンさんが消えたように魔物の攻撃を交わしたのはスキルだったんですか?」
「いや、あれは私の身体能力で動いたというだけのことだよ。もちろん職業を得てから、身体能力自体だいぶ強化されているけどね……私の『職業スキル』は獣化してから獣の特性を使うものが多いね」
「なるほどお……あの動きで、そのままの力というだけ。やっぱり戦闘系の職業の人はすごいんですね」
「そうかな? 私から見れば君の『スライム繁殖師』こそ人の役にたつ素晴らしいものだと思うがな……さて、クレイジーグレズリーは魔石と心臓、肝は高く売れるから回収した。他の部位もそれなりの値段で売れはするんだが、今回の旅では持ち運びはできんな」
「ちょっと残念ですね……」
「ああ、だが防腐剤も冷蔵収納もなしで肉を運んでもしょうがないからな、私も少量なら持っているんだが……流石にこの街道にこのレベルの魔物が出るのは想定してなかったからな……よしっ、残りは森に捨てるとしよう……少し街道から離れたところに捨てて来るから、ここで待っていてくれ。私の鼻の圏外にはいかないから心配はいらないよ……」
「わかりました」
ホフィンさんはバラした魔物の体を抱えると、森の中へと姿を消した。
ーー No. PD
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