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その日僕が黄金の鷹亭を訪ねると、入り口で待っていたのはマッツさんだった。
「えっっ……ぼ、僕のことをっ……あの公爵様がっっ!? なんでっっ!?」
そのまま彼が僕に告げた言葉は衝撃的なものだった。
「いや、それがね……今ちょうど、王都のリトレから戻られたリカルド公爵様に、黄金の鷹亭に宿泊していただいているんだけどね……」
「ああ、王都でのお仕事をもう終えられたんですね……」
「そう……それで、今回のご帰還の道中は王都の学園にご滞在されていた末娘のシルヴィア様がご一緒のようなんだよ……」
「なるほど。夏休みの里帰り……ですか?」
「うん、時期的にきっとそうだろうね。それからシルヴィア様は間も無く12歳になられるから、きっと職業拝受の儀式を公爵様のお膝元のイーズレリの教会でされるってことじゃないかな……それで本題なんだけどね、実は例のトイレをご使用されたシルヴィア様が大層驚かれたそうでね……」
「ああ……」
12歳という年頃の貴族のご令嬢様だ。
清潔さとか匂いとか、そういうものが一番気になる時期なのかもしれない。
「シルヴィア様も貴族の通う学園寮に滞在していらっしゃるわけだから、トイレなんかも比較的お綺麗なもののはずなんだけどね。ノビくんの入ってるトイレは、時が立てば立つほどどんどんと清潔になっていってるからねえ」
マッツさんのいうことは正しい。
数日でだいぶ匂いの少なくなった黄金の鷹亭のトイレだったんだけど、1ヶ月を越えた頃にはほとんど無臭、今となってはそこがトイレであることに自信がなくなるレベルの清潔さだ。
「ノビくんのおかげで黄金の鷹亭にもう一つの売りができたわけだから、リートくんにはほんと感謝しているよ……」
「いえいえ、マッツさんたちにはお世話になっていますし、それにしっかり対価の方もいただいちゃってますから」
黄金の鷹亭からのスライム貸出料は、今ではなんと月40000ピノに増額されている。
「うん、そうだね……さて、それでなんだけどね、シルヴィア様とリカルド様にトイレをどうやって準備したかってことを簡単にご説明したんだよ。そうしたら、お二人ともリート君の職業とかスライムに非常に興味を持たれてね……そのトイレを作るきっかけとなったリートくんに会ってみたいとおっしゃっていてね……」
「なるほど……それで、公爵様が……」
僕に何かしら公爵様に合わないといけない理由があるんだとしたら、それが一番腑に落ちる理由とは言えるだろう。
「うん。それで、どうかな、リートくん? 公爵様は庶民の僕たちにもお優しい方だし、礼儀とかも然程は問題ないと思うんだけどさ……」
「そうですね…………僕は公爵様とお会いしてみたいと思います。僕の職業『スライム繁殖師』で成し遂げたことをお認めしていただいたわけですし、僕にお断りする理由はありません」
「そう言って貰えると助かるよ……それじゃ、早速だけど今からいいかな?」
「はい。わかりました」
ドキドキ高鳴る心臓の音を感じながら、僕はマッツさんの背中を追って黄金の鷹亭の最高級の部屋がある最上階へと向かったのだ。
こんこんと丁寧に部屋をノックするマッツさん。
すぐに中から執事のような男が顔を見せる。
「マッツ殿、そして、君が例の……」
「はい、セバスさん。彼がリートです……」
「わかりました。どうぞお入りください」
セバスと呼ばれた執事に続き、僕は公爵様の待つ部屋へと入る。
部屋に入った僕はマッツさんに習って膝をつき頭を伏せる。
「君が、リートくんか。顔を上げなさい」
「はっ、はいっ」
僕が顔を上げると、壮年の貫禄のある男性の姿が目にはいる。
遠目でみたことはある……ラインベルト公爵のリカルド様だ。
「私はラインベルト公爵であるリカルドだ。そして、こちらは私の娘のシルヴィア。ふふ、シルヴィアはちょうど君と同じくらいの年齢だな。仲良くしてやってほしい」
そうリカルド様が紹介してくれたのは、深窓の令嬢というにふさわしい美少女だった。
腰まで伸びるサラサラの金色の髪。
透き通るような碧眼。
真っ白な肌。
スタイルのいいスリムな体型。
完璧な美少女と言っていい芸術品がそこにはあった。
「シルヴィア、です。よろしく、です」
恥ずかしそうに自己紹介をするその細い声もまた愛らしい。
「リ、リート、です……よ、よろしくお願いします!」
僕もなんだか恥ずかしくなってしまう。
「ふふ。シルヴィアは末っ子で大切に育てたせいか恥ずかしがり屋でな……だが、君に会いたいと言い出したのも実はシルヴィアなのだよ。そういうことはだいぶ珍しいことでな、私としても叶えてやりたかったのだよ」
「お、お父様っ。それは、秘密、です」
恥ずかしそうに顔に手を当てて、頬を染めるシルヴィア様。
「おっ、すまんな、シルヴィア。それで、リートくんを呼んだ理由なんだが、マッツから聞いているかもしれないが、あのトイレはとても素晴らしいな……王宮にまで行けば似たような無臭のトイレもあるが、あれは専門の『魔法士』を雇っている金のかかった特別なものだ。聞くところによると、ここのは特に人の手を入れる必要もないそうじゃないか……」
「そうですね……」
”糞”好きのスライムを入れといたら、あとは勝手に綺麗にしてくれるのだから楽なものだ。
「詳しいことは『職業の秘密権』もあるし聞きだそうというつもりは無いが、同じ方法をイーズレリの我が屋敷に導入することは可能だろうか? シルヴィアのためにも、できれば我が屋敷に同じものが欲しいと思ってな」
「はい……これは『職業の秘密権』ってほどの特殊なものでは無いんですけど、可能か不可能かでいえば、可能だと思います」
「ふむ、それは素晴らしい。しかし、何か、問題があるのかね?」
「えっと……黄金の鷹亭のトイレで使っているスライム、それと同じタイプのスライムを見つける必要があります」
「なるほど……特殊なスライムを使っていると言うわけか……」
特殊ってわけでも無いけど、”糞”好きじゃ無いスライムがノビくんのようにトイレの中で働いてくれるかって言うとそんなこともないだろう。
「はい。なので、そのスライムを見つけるために、少しのお時間を頂くかもしれません」
「それは、もちろん構わんよ。ではそのスライムが見つかったら、イーズレリに来てもらってそのトイレを設えてもらう、ということで良いかな?」
「はい、問題ありません、全力を尽くしますっ」
糞が好物のスライムさえ見つかれば、トイレの中に入ってもらうだけでいい。
ノビくんの時のことを考えれば、きっと嬉々として自分から入っていくだろう。
「では、セバス……リートくんがイーズレリの我が屋敷に無事に来れるように、手続きを頼む」
「かしこまりました……身分保障の公爵印、馬車、護衛の手配など、ですね」
「そうだな……それでは、今日は、これにて…………ん?」
話しをしめようとした公爵様の袖を、シルヴィア様がくいくいと引いている。
「お父様っ……私、リートくんと、お話したい、です」
「おおっ、そうかそうか。リート、シルヴィアが君と時間が取りたいそうなのだが、良いかな?」
「も、もちろんですっ」
「リートくん、こっち……」
くいくいと手のひらを動かし僕を呼ぶシルヴィア様。めちゃくちゃ可愛い。
「それじゃあ、私はマッツと少し話もあるから、奥の部屋で二人で話しでもしているといい」
「わかりました」
僕はシルヴィア様に案内されるままに奥の部屋へと向かう。
もちろん監視(?)のメイドさんはそばにいたけど、僕は嬉しそうに話すシルヴィア様と楽しいひと時を過ごしたのだった。
ーー No. PD
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