**********
引きこもっていた公衆トイレから出てくると、外はまだまだ明るい。
空を見上げてみると、地球で見ていたものより若干大きい気がする太陽が見える。
……いや、ここは多分地球じゃないんだろうから、あれは太陽でもないのか。
まあ名前も知らない恒星なわけだし、名前が判明するまではとりあえず太陽と呼んでおこう。
異世界だけど二つあったりするわけでもない太陽は、僕のほぼ真上の位置で燦々と輝いている。
転移する前は大体午後3時ってところだったんだけど、時刻のずれた場所に飛んだのか、それともそもそも1日が24時間ではないのか……
前者だったらちょっとの時差ボケで済むけれど、後者だとかなり順応が大変そうかな……
そんなことを考えつつも視線は例の森へ。
「うん……今のところゴブリンのやつは出てきてないな……」
僕は小さく息を一つ吐くと、モップを両手に構えたまま、ジリジリと森へと近づいていく。
公衆トイレを包む草原から砂漠までは50メートル。
逆にトイレから森の入り口までは200メートルといったところ。
緊張しているせいか、森に近づく1秒1秒がすごく長く感じられる。
一歩一歩を踏みしめながら、僕は森へと歩みを進めた。
そのまま森から50メートルほどの位置まで近づいた時だった。
「グギャギャギャッ!」
そんな奇声を発しながら、一匹のゴブリンが森から出て来る。
すでにこちらには気づいているようで、すぐにこちらに向けて駆け出して来る。
ゴブリンは相変わらず醜悪な見た目をしている。
1匹目のゴブリンの時にも感じた、人類の敵が近づいてきていると感じるような背筋をチリチリと震えさせる感覚。
小動物であれ、命を取ることは罪とされる地球の日本から来た僕だけど、あれは全くの別ものだ。そう本能が理解させてくれる。
あれとなら、全くためらわずに戦える。
今回のは1匹目のゴブリンとは違う個体なのか、手には槍ではなくショートソードのようなものを持っているようだ。
「ショートソード、ね……リーチが短いから槍よりはやりやすいかな……?」
さっきのゴブリンと同じように、奴は僕に向かって突っ込んでくる。
その駆ける速度はやっぱりかなり早い。
いつ剣を投げつけられても対応できるように、モップを前に両手で抱えたままゴブリンに集中する。
だけど、走り近づいてくる今回のゴブリンは、剣を投げつけてきたりはしなかった。
僕の直前まで全く止まることなく駆けてきたゴブリン。
間合いに入ったゴブリンは、軽く地面を蹴ると宙に舞い、片手で持ち上げたショートソードを僕に振り下ろしてくる。
「……くっ」
奴自体の速度は速いけど、剣の振り自体はさほどじゃない。
僕はモップをショートソードの軌道に向けて、振り合わせる。
ーーギンッッ
ショートソードとモップが派手な金属音を立てる。
その派手な音の割には、腕に伝わって来る衝撃は軽い。
軽い金属製のモップもさほどダメージを受けてはいないようだ。
「……やっぱり、軽い。これなら……」
ゴブリンが敏捷性特化という仮説は間違っていないようだ。
ショートソードと合わさったままのモップを、奴に向けてぐぃっと押しつけてやる。
「グギャッッ?」
ゴブリンは後方に押し戻され、体勢を崩して踏鞴を踏む。
チャンスだ……
今度は僕の方からモップを奴の頭に向けて強振する。
「グギャギャァッッ!」
ゴブリンはショートソードを立てて身を守る。
僕は敢えてはモップの軌道を変えず、そのままモップを奴のショートソードに打ち付ける。
ガンッッ、っと重く鈍い音が辺りに響き、ゴブリンのショートソードが横に大きく振れる。
ゴブリンも大きく体勢を崩している。
僕は振り抜いたモップを正面に構え直すと……
「ぁぁあああっっっっ!!!!!」
大声をあげながら、ゴブリンに向けて振り下ろす。
ゴブリンはショートソードを動かそうとしてるけど……
僕の方が早い。
「……グギャァァァァァァアッッッッ!!!!」
モップはさほどの抵抗を受けることもなく、ゴブリンの頭へとめり込む。
ゴブリンはそのまま地面へと崩れ落ちた。
「……やった……のか?」
フラグになってしまいそうな言葉だけど……ゴブリンには起き上がってくる気配はない。
そして、ピクピクと動いていたゴブリンが完全に動きを止めた、その時だった。
ーーボンッ
っとゴブリンの体から大量の白い煙が湧き上がる。
宙に浮いたその白い煙の塊は、なぜか一目散に僕の方へと向かってくる。
「うわっ……なんだこれっ?」
僕は慌ててその煙から逃げる。
だけど煙の方が動きは早い。
あっという間に僕に追いついた煙は、僕……ではなく、僕のモップに吸い込まれていく。
「あれ……モップに入るの……ってどういうこと??」
白い煙が吸い込まれた訳だけど、モップの見た目には全く変更はないし、僕の体調にも変わった様子は見られない。
「……なんだったんだろ? あっっ、なんか落ちてる」
ゴブリンが倒れていたところに目をやると、煙を吐き出したゴブリンの体は無くなっていた。
代わりに落ちているのは、錆びたショートソード。
ゴブリンの耳が一つ。
そしてブロック肉のようなもの。
僕はまずゴブリンの耳を手に取る。
「冷たっ。あのゴブリンからドロップしたものだけど、あのゴブリン自体の耳ではないってことかな? いや、もともとゴブリンの体温が低いって可能性もあるか。いずれにしろ、倒したモンスターは勝手にドロップ品に変わってくれるっていう世界なのかな……」
ゲームのような謎システムだけど、剥ぎ取りとか解体とかしないでいいのは正直助かる。
戦うことは意外とすんなりできた訳だけど、人型の生物を解剖できるかと言われるとちょっと自信がない。
……にしても、この感じだと冒険者ギルドのようなところで、ドロップ品を買い取ってもらえたりとか……できるんだろうか?
いかにもな異世界設定に気持ちが上がってくる。
僕は続いて落ちているショートソードを手に取る。
「……おもっ。これじゃゴブリンの振り抜きもさほど早くはないわ。でもこの重さのショートソードの振り抜きが、あんなに軽かったのはなんでなんだろ?」
こういう近接武器の威力において、重さってのは結構重要なファクターなはず。
この軽いモップで打ち合えたのが、ちょっと不思議なくらいだ。
何れにしてもこのショートソードは、僕にはとても振れそうにない。
使い道のなさそうなショートソードだけど、後々使い道が出てくる可能性はある。
僕は念のため公衆トイレに持ち帰ることにした。
「それで、最後は、これか……」
僕が見ているのは鶏肉のような色をしたブロック肉。
血は滴ってないけど、あのゴブリンの肉……なのだろうか?
見た目はさほど悪くないんだけど……
いずれにしろ、食べられるなら僕の命を繋いでくれる大切な食料だ。
恐る恐る手にとってみる。
「やっぱり冷たい……そんなに硬くはないけど、生でも食べられるのかな……? 火が使えるなら焼けばいいんだろうけど、公衆トイレにそんな設備ってなかったよね……」
手のひらに感じる生肉の感触は、僕にこれからの異世界のリアルというものを切実に伝えてくる。
そんなドロップ品三つを手に抱えて、僕は公衆トイレへと戻ったのだった。
ーーNo. PD
コメント