1−1 異世界転移したってのにトイレに引きこもる

 

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震える足に鞭打って必死に走る。

地面を蹴る度に太ももにしんどい疲れが溜まって行くけれど、だからと言って休むわけにはいかない。

僕が目指すのは僕と一緒に転移してきた公衆トイレ。

ゴブリンのような見た目のやつもかなり近くまで迫ってきてるけど、このままなら僕がトイレにたどり着く方が早い。

「はぁっ、はぁっ」

息が上がるのを感じながらも必死で走る。

お互いに向かって走っているから、急激に大きくなってくるゴブリンの姿。

その醜悪な見た目が僕の視界の中にはっきりと映るようになり、根源的な恐怖が湧き上がり背筋を走り抜ける。

僕に近づいてくるゴブリンは、手に持った槍を背中に担ぐように引くと……

「ちょっ……まじかっ!?」

そのまま僕に向かって勢いよくぶん投げてくる。

槍はまっすぐにってわけではないけれど、結構な速度でぐるぐると回りながら僕に向けて飛んでくる。

僕は慌ててその射線上から外れるように、横方向に身を投げだす。

全速力の慣性の力に引かれ……

ーーズザァァァッッ

っと僕の体は草原の上を勢いよく転がる。

地面とぶつかりこすれた体の各所がかなり痛むけど、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。

「逃げなきゃっっ!」

跳ねるようにして起き上がると、僕は再び全力で前へと走る。

太ももにかなり乳酸が溜まってしまってるのがわかるけど、我慢するしかない。

投槍をかわして転がっていた間に、だいぶ距離を詰められてしまったから。

だけど……

僕の方がまだトイレに近い!!

醜悪に笑うゴブリンを気にしないようにしながら全力で走り続け……

僕はやつがたどり着く前に公衆トイレの入り口を駆け抜けた。

「…………はぁっっ! はぁっっ!! はぁっっ!!」

僕は汚いとか考える余裕もなく、トイレの床に膝をつく。

こんなに全力で走ったのは何年ぶりだろうか。

もしかしたら高校を卒業してから初めてかもしれない。

膝は笑っているし太ももはパンパン、肺はゼーゼーと音を立てている。

正直ゴブリンがここに入って来たら戦えない……どころか逃げる体力すらもなさそうだ。

「……はぁっ、はぁっ。これで賭けに失敗してたら、走り損なんだけど……」

僕は恐る恐る後ろを振り返る。

そこに僕を殺そうとするゴブリンの姿があれば僕の負け。

だけど……

「あー、良かった……やっぱりこうなってくれたか」

僕は賭けに勝った。

ゴブリンは変わらず僕の目の前、というか公衆トイレの前にいる。

だけど、ゴブリンはキョロキョロと辺りを見回すだけで、公衆トイレに入って来ようとはしない。

やつには公衆トイレの中、というかその存在自体が認識できていないって様子だ。

「異世界転移ものだと、一緒に転移して来た施設はセーフゾーンってのは定番だよねえ……でも良かった、新しい公衆トイレ様様だよっ。なんでだかリニューアルのときに物議を醸してたみたいだけど、おかげさまで助かったわ……」

命を賭けるには若干細い線だったけれど、どうやらひとまず命をつなぐことはできたようだ。

 

 

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しばらくの間公衆トイレの周りをうろちょろしていたゴブリンだけど、やがて飽きたのか森へと戻っていく。

僕はそれを確認して、ホッと一息をつく。

「いきなり外に出たのはちょっと不用心すぎたな。でも外がこんなことになってたなんて普通はわからないしね……さて、ゴブリンがいなくなってくれたわけだけど、僕はどうするべきなんだろうか……」

考えることは色々ある。

というかありすぎて何から考えていいのかもわからない。

転移の理由?

気になるけれど、今は置いておいていいだろう。

転移チート?

あればいいけれど、とりあえず魔法は使えなかった。

走った感じでは、身体能力が上がっている様子はない。

「……『ステータスオープン』」

…………。

……も使えないか。

スキル……はあるのかもしれないけど、どうやって確認していいのかもわからない。

後々有名どころを一通りチェックしてみる必要はあるだろうけど、今はとりあえず置いておくとしよう。

「……やっぱり先ずは生活必需品の確認だよな」

僕は背負っていたカバンの中身を開く。

幸いにしてそこには少しの食料品が入っている。

休憩の時に食べようとコンビニで買って置いた菓子パン、それから非常食のエナジーバーにいくつかのスナック。

節約しきれば数日は持たせることはできるかもしれない。

「……人間を保たせるのに重要なのは、食べ物よりも水って言うよな」

人間の半分以上は水でできている。

それが奪われると人間はあっさりと活動できなくなってしまうもの。

……残念なことに、僕のカバンには水分は入っていない。

カバンは一旦置いておいて、洗面台へと向かう。

その蛇口の元にゆっくりと手を伸ばしてみる。

「頼むよ……お、水出るじゃん。ラッキー……」

感知式の水道の蛇口は、細い水を吐き出してくる。

軽く手のひらをすすいだ後に、手のひらにその水を貯め口に含んでみる。

舌に感じる味は普通の水のものだ。

「トイレの洗面台だけど、便器とは離れてるしリニューアルしたばっかりだし、飲んでも大丈夫だよな……飲めない場合って飲料にはできませんみたいな注意書きついてたはずだし、たぶん……」

再び水を手のひらにため、コクリと飲み込んでみる。

「ん……美味しい」

全力で走って乾いた喉を潤してくれる水は問題なく美味しい。

なんだかさっき全力で走った疲れが抜け、体力がぐんぐんと回復してくるような気すらする。

「……ん? ……なんだ?」

水道水のかかった手のひらの後ろが、なんだかぼんやりと暖かい。

手のひらをひっくり返してみると、さっき外で転がった時に擦りむいてしまっていたんだろう……薄く擦り切れた手の甲が出血している。

だけど、問題は出血してること自体じゃない。

「……これ、もしかして、治癒してない??」

水滴がかかり、薄ぼんやりと白く光っている傷口。

なんとなく、その擦り傷が塞がりつつあるように見える。

「もしかしてっ!?」

僕は手の甲側を水道の蛇口に近づける。

細く出てくる水が直接傷口に降りかかる。

「……おおっ!!」

さっきよりもやや強く光る傷口と水。

みるみるうちに傷口がピンク色の新しい皮膚で覆われて行く。

「これは……一個目の転移特典が、きたかな……」

どうやらこの蛇口から出てくる水は、なんらかの理由でポーションのようなものに変質しているらしい。

もしかしたらさっき体力が回復したように感じたのだって、気のせいではなかったのかもしれない。

「よし……」

もう一度水を手のひらに貯めて飲み込んでみる。

パンパンで動かすのも大変だった太ももが、少しずつほぐれて行くのを感じる。

自分の体の変化に集中していたせいか、今度は気のせいじゃなくて、この水の影響で体が楽になっていってるのがはっきりわかる。

「つまりこれは……怪我を直せてスタミナを回復できるポーションってことね。他にも効果はあるのかもしれないけど……」

それだけでこの世界での生活が保障されるわけではないけれど、間違いなくこれからの生活にとってプラスになるものであることには違いない。

理由もわからず異世界に放り出されてしまった僕だけど、少しずつ未来に明るい兆しが見えてきたのだった。

 

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ーーNo. PD

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