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「フィル……」
一足先にベジンへと旅立ってしまったフィルのことを思い出す。
彼女と絶望の森と死の砂漠の間で出会ったあの日……暖かな彼女を腕の中に抱え異世界トイレに向かう間、異世界にはこんな美少女がいるのかと驚いたものだ。
そんな彼女とともに絶望の森を歩み進んだ日々……慣れない命をかけた戦闘ばかりで大変だったわけだけど、フィルの笑顔と明るさはいつも僕の心を癒してくれた。
そしてベジンに旅立つ1日前の夜。僕の部屋に訪れたフィルと……僕は結ばれたのだ。詳細は省くけど、彼女の笑顔、柔らかな唇、甘く香るからだ、耳元で響く切なげな声。好きな女の子と結ばれる時間が、あんなにも幸せなことだなんて、僕は知らなかった。
だけど……そんな甘い一夜を最後に、彼女は僕を残して旅立ってしまった。
「はぁ……」
だいぶ姿の大きくなってきた火山を見上げながら、小さくため息を吐く。
「なんじゃ、タカシ。なんでそうも情けないため息なんてついておるのじゃ? ……またフィルのことを考えておったのか?」
「アシュリー、僕はですね、女の子とそういう関係になるのは初めてだったのですよ……あんなに凄くて幸せなのがわかっちゃって、すぐに離れ離れにされるなんてめちゃくちゃ辛いでしょ?」
アシュリーは見た目は若々しい美少女だけど、中身はかなりおっさんっぽいところがある。実際悠久の時を生きているわけだし。
なので、こんなこともついつい話してしまうのだ。
「なんじゃ、タカシは初めてじゃったのか……それは悪いことをしたのお。じゃがベジンでの受け入れ準備はすでに万端、フィルが出発しない理由はタカシのそれ以外にはなかったのじゃ」
「だったら、僕も一緒に行かせてくれればよかったじゃないですか……」
拗ねた顔でアシュリーにそう告げる。
「男の拗ね顔なんぞ別に可愛くもないのじゃ。何度も言ったじゃろう……お主にはここで手伝ってもらいたいことがいくつかあるのじゃ。ベジンで魔族という存在を学ぶのに、より時間が必要なのはフィルの方じゃろうしな……」
「まあ、そうですね。僕は魔族のあり方に付いてはアシュリーの言うことを信じてますからね」
驚いたように目を見開くアシュリー。
「なんじゃ。ずいぶん素直じゃな……さてはタカシ、我にも惚れたな?」
「……アシュリーは美少女ですけど、それだけじゃまだ惚れないですよ。アシュリーを信じるのは、一つはアシュリーの強さ、一つは隷属術式なんて準備してくれた人族の国ディノクへの反発、一番大きいのは、この日記ですけどね」
例のキングオークを一撃で屠ったのは記憶に新しいし、こうして火山の麓までやってくる間にも絶望の森の強力な魔物を1パンで沈めてきた。あれで魔法まで最強って言うんだから、僕やフィルに頭脳戦を仕掛ける理由は皆無だ。
そして、人族の国ディノク。話を聞くにつれて怪しすぎる。まともに機能しているのは騎士団だけ。そしてその騎士団ですら国王や魔術師たちに操られている感がある。
そして……
「ハジメの日記か……」
僕の前に召喚された異世界勇者の日記だった。
ハジメさん……彼の日記には召喚されてから、彼が亡くなる直前のことまでのことが事細かに記されていた。
日本語で書かれたその日記は、人族の国に召喚されたところから始まっている。
僕と違って自分自身にチートスキルが付いていたハジメさんは、すぐに魔族と戦い始めたそうだ。
そして、魔族との戦いに明け暮れる日々の中で、少しずつ人族の王に言われていたことが正しくないと気づき始めたんだって。
彼がアシュリーと直接出会ったのはそんな時だった。
魔族領の奥深くまで少数精鋭の部隊で乗り込んだハジメさんは、アシュリーと長時間に渡る激闘を交わす。
だけど、戦闘訓練を積んだチートもちのハジメさんを持ってしても、アシュリーには敵わなかったようだ。
アシュリー本人が言っていたように、アシュリーの戦闘力はこの大陸では隔絶したものだったのだろう。
……嫋やかな美少女って見た目なのに不思議なものだ。
「……ふふ、そうじゃろ?」
アシュリーが計ったようなタイミングでドヤ顔で相槌をうつ。
「………………心……読めるんですか?」
「いや、なんとなくじゃ……」
「……ほんとですか?」
「ほっ、ほんとじゃよっ!」
「そうですか……まあ、別に隠し事もないですし、いいのですけど」
ジト目でアシュリーを見つめる。
「うぅ……和ませようと冗談を言っただけじゃのに……」
「はい、僕も冗談です」
ちょっと落ち込んだ風のアシュリーにニヤリと笑ってやる。
「っ……タカシは意地悪なのじゃ……」
日記のそれからはアシュリーと過ごした日々のことが書かれている。
アシュリーとした戦闘訓練……ハジメさんは結構な戦闘オタクだったようだ。少しずつアシュリーと打ち合えるようになったってことを、嬉しそうに日記に綴っている。
そして少しずつアシュリーと個人的な仲を深めたことも……
やがて完全に人族を見限ったハジメさんは、少数の仲間と共に魔族領で暮らすようになったそうだ。
彼の仲間たちもまた……
「この、魔族領で子供ができたって書いてあるんですけど、ハジメさんの仲間の子孫とか、魔族領にいたりするんですか?」
「のじゃ。人族の国から迫害されてきたものとかもいるのでな、首都には結構な数の人族が集まっている区域もあるのじゃ」
「へえ……それじゃ、フィルの向かった学校にも?」
「そうじゃ。結構な数がいるから、フィルの選ぶ専攻にもきっと人族もおるじゃろ。フィルも同族がいれば、少しはやりやすいじゃろう?」
「そうですね。そう思います」
さて、そんな感じで幸せに暮らしていたハジメさんたちは、やがてこの大陸の外にまで足を伸ばして、この世界の多くの場所を見て回ったそうだ。
「僕も……いつかは彼みたいに、この世界を見て回ってみたいかな……」
「それも、良いじゃろうな……じゃが、外の世界に出るにはもっと強くなる必要があるのじゃ。外には我やそこの火龍のような古代種も残っておるし、モンスターの強度も段違いなのじゃ」
「そうですか……先は、長そうですね」
というか、僕にアシュリーや火龍から逃げられるだけの力がつく日は来るのだろうか?
「のう……タカシは元の世界に、未練はないのか?」
「……なくは、ないですね。向こうに両親や妹がいますし……だから、僕もハジメさんと同じく、帰る方法は探します」
「ハジメは真面目に帰る方法を探していたみたいじゃが、ついぞその方法を見つけることはできなんだな……人という種は歳をとると故郷に帰りたくなるものらしくての……」
アシュリーは悲しそうな顔を見せる。
「そうかも、しれませんね……僕の場合は異世界の狭間に挟まってるっていう異世界トイレがありますから、そこから何かできないか調べてみる感じになるでしょうね。単純に異世界トイレのレベル上げをしていけば、何かしら元の世界に戻るヒントが得られるんじゃないか……そんな気もしてるんです」
「そうじゃと良いな……」
「でも……」
僕は一旦口を噤む。
「……でも?」
「帰る方法が見つかっても……どうするかは、まだわかりません」
頭に浮かぶのはフィルの笑顔。
彼女をこの世界において元の世界に戻るのか?
「……これからこの世界に、大切なものが積み重なっていって……元の世界への郷愁があったとしても、それを実行できるのか……ハジメさんも悩んでたんじゃないですか?」
「じゃな……」
「僕は、できればこっちと向こうを行き来できる方法を探したいですけどね」
「そうじゃな……その方法が見つかったら、我もお主の世界にも行ってみたいものじゃ」
「ええ、きっと。アシュリーもフィルも、ミルカさんも、みんなで行きましょう……」
なんとなく僕は、晴れ渡った空を見上げたのだった。
ーー No. PD
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