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朝の黄金の鷹亭。
出立のお客さんを送り出して一息ついているマーシャさんを捕まえる。
「へえ……ナーニャとそんなことを話してたのかい」
「ええ、そうなんですよ、マーシャさん」
「確かにあの子はトイレ掃除はいつも嫌そうにしてたからねえ……かと言ってトイレ掃除のためだけに別の子を雇うってこともできないからね、困ったものだよ……」
「ですよね……だから、この子が役立ってくれるといいんですが……」
僕の手の中にいるのはスライムの1匹。
ポズちゃんのようなアンコモン種ではない、ただの普通の【ノービススライム】のノビくんだ。
見た目は、というか中身も普通のスライムな彼なんだけど……
「そうだねえ……じゃ、とりあえず行ってみようか」
「はい。そうしましょう」
どうなるかは、やってみなきゃわかんない。
「ここだよ……ってリートは別に案内しなくてもわかるよね」
「そうですね……」
すでに鼻を刺すようなツンした匂いや、なんともいえないムワっとした匂いが混ざった香りが鼻を責めてくる。
あまり長居したい場所ではないのだけど、今日はそういうわけにもいかない。
「それで、これがトイレだね……見た目は他の宿屋とか食堂とかよりも綺麗にするように注意してるけどさ……」
目の前にあるのは大きめの白い陶器の壺のようなもの。
その真ん中に穴が開いていて、座れるようの穴の開いたカバーが付いている。
その中を覗き込むと、ムワッとした刺すような強い臭気を感じる。
「ほ、本当に、大丈夫なのかい?」
「正直……わかりません」
目の前にこうしてトイレを見ると、正直あんまり自信はなかったりもする。
「……でも、この子基本的に動物の糞しか食べませんし。それが人のものじゃダメって理由もないと思うんですよね……」
「そう言われてみると、そうなの、かねえ……でも、ちょっとかわいそうな気もしちゃうよねえ」
マーシャさんがそういう気持ちもわからないではない。
ふるふると震えているスライムは結構可愛いものだから。
「僕もまあ、そう感じないんではないんですけど、基本的にスライムたちって食べ物があるところにいるのが一番幸せって感じなんですよねえ……うちにいる一匹の頭いい例外を除いてはですけど……」
【インテリジェントスライム】のスラくんは、トイレなんかに突っ込まれたら怒ることは間違いない。
だけど、他のスライムは食べ物食べてる時だけが一番幸せって感じだし、それ以外の時にどこにいるからって喜んだり悲しんだりとかってない。
ノビくんも、多分だけど糞好きの彼ならば、トイレの中でも喜ぶんじゃないかなって気がしてるんだけど……
「とりあえず、出してみますね……」
僕は落とさないようにカゴにしまってきたノビくんをとり出す。
僕のてのひらの上でふるふると震えたノビくんは……
「あっっ……」
自ら便器の中へと飛び込んでいってしまった。
「自分で……飛び込み、ましたよね……」
「そうだねえ……自分から行ったってことは、まあ喜んでるってことなんだろうけどねえ」
「ですね……ってか高さ的に大丈夫かな?」
中を覗き込んでみると、ふるふると動いているノビくんがなんとか見える。
破裂しちゃってるようには見えない。
「下が柔らかかったから大丈夫だったってことかな……これ、トイレの中身を捨てる時ってどうしてるんですか?」
「トイレの下は上側が閉められる箱になっていてね、ある程度いっぱいになったら業者さんを呼んで箱を交換してもらってるのさ」
「それじゃあ……とりあえずこのままどうなるか様子を見て、問題がありそうだったら次の回収の時にノビくんを取り出すってことでいいですかね?」
「ああ、それで問題ないよ……」
僕たちはそんな感じでトイレを後にしたのだ。
〜〜〜
──数日後。
黄金の鷹亭を訪れた僕は、マーシャさんとナーニャに迎えられていた。
「リート、すごいんだよ。あの臭かったトイレがさ、ほとんど匂いがしないんだよ……」
「そうにゃのニャ! リート、ありがとなのにゃ! 匂いゼロとは言わにゃいけど、これでトイレ掃除をするのもだいぶ楽なのニャ! 嬉しいのニャ! またいっぱい触らせてあげるから楽しみにしてるのニャ!!」
そう言いながら、なぜか恥ずかしそうに豊かに膨らんだ胸部を手で隠すナーニャさん。
いや、そんなところを触らせてもらった記憶はないのだけど……
「おやおや。リートももうしっかり男の子なんだねえ……これは遠距離になっちゃったメグは分が悪いかねえ」
マーシャさんがよくわからないことを言いながら、僕の方をニヤニヤと見てくる。
「ち、違いますよっ! ナーニャさんに触らせてもらったのは猫耳だけです! 誓って変なとこには触ってませんよ!」
そう言い訳する僕だけど、ナーニャさんの悪ふざけは止まらない。
「リート、すごく上手かったのニャ……」
ナーニャさんは恥ずかしそうにモジモジと体を揺らす。
可愛い……すごく可愛いんだけどさ……
「もう、からかわないでくださいよ、ナーニャさん……」
「ごめんごめんニャ! リートが素直で可愛いから……怒らないでニャン!」
「怒ってはいませんけど……」
「くくっっ、仲がいいのはいいことだねっ! それで、このスライムのことだけどね、1ヶ月ずつスライムを借りるってことで月あたり30000ピノでどうだい?」
30000ピノって言ったら1ヶ月の食事代が払えてしまうくらいのお金だ。
もちろんそれに文句なんてあるわけないけど……
「ええっ、試させてもらった訳ですし、マーシャさんにはいつもお世話になってますし……」
「いやいや、ダメだよ。こういうのはしっかりしなきゃ。リート、あんたは『スライム繁殖師』の職業を授かって、それをしっかりと役立てる方法を見つけたんだ。しっかりとその対価は受け取らなきゃいけないよ……それがオクサルビ神様の御意志でもあるのだからね」
「それは……そうですね。わかりました、ありがとうございます……ところで、どうやって30000ピノって算出したんですか?」
せっかくなので、マーシャさんがどう値段をつけたのか聞いておくことにする。
「そうだねえ……トイレの中身の回収にかかってた値段は大体月10000ピノってとこだったね。中身をからにするだけだったら同じ値段でもいいわけだけど、リートのスライム場合だと出した側から片付けてくれるからほとんど匂いがしないんだよ。やれやれ、こんな匂いがしないトイレを使ってるのなんて王族くらいのもんだよ……」
「なるほど。そのプラス分が20000ピノってことですね」
「ああ、でもこれはあくまで初期算出だからね。もうちょっとお客さんの評判なんかを聞きながら、少しずつ増やしていけると思うよ」
「減らす、じゃなくて、増やす、ですか?」
「何言ってんだい……こんな気持ちのいいトイレがある宿なんて、みんな使いたいに決まってるじゃないか。うちは比較的に高価格帯の宿だけど、こんなトイレが使えるなら格安に感じるってもんだよ」
「なるほど……そういうもの、なんですね」
「なのにゃ! トイレの匂い問題で野宿を選ぶことが多い獣人族にもオススメできるのニャ!」
へえ、トイレの匂いって獣人族には結構死活問題なのか……
確かに穴掘って埋めるって手間をかけられるなら、外でする分には匂いはないわけだしね。
「それじゃリート、こっちにおいで。今日からの1ヶ月間の30000ピノを前払いするよっっ」
「わかりました」
僕は颯爽と歩き出したマーシャさんの後を追ったのだった。
ーー No. PD
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